プロジェクトストーリー PROJECT STORY

創業の歴史と一個流し生産導入の背景

  1. PROJECTSTORY

    INTERVIEW

    創業の歴史と社名の由来

    1960年代、時代は高度経済成長期の中、チゥキヨーの歴史は始まりました。
    ものづくりの世界は、効率良く大量生産する方法を探求し、急速な変革を遂げていました。当時、金属の加工方法として主流だったのは切削加工でしたが、大幅に時間短縮できる加工方法として、鍛造成形が着目され始めました。鍛造設備や金型への投資費用対効果が認められると実用化に急速な拍車が掛かりました。部品生産の中でもボルト・ナットの生産方法として目覚ましく普及しました。部品単価に対するコスト競争が加速し、より短時間で大量に部品生産する為、高速可動する設備を求めドイツ製を始めとして、西欧・北米製が導入されました。これに伴い生産スピードはより高速化しました。この生産スピードの影響で、より大きくなった製造過程の負荷に、従来の金型材料では強度不足で耐え切れず、消耗・破損が増え、生産の妨げになっていきました。特に「雌型」であるダイスの消費は激しくなりました。これを解決する為、超高硬度材である「超硬」を材料とした金型「超硬ダイス」の製作方法が開発されました。その消耗・破損低減の効果は徐々に認められて普及していきました。しかし、まだ国内では「超硬ダイス」を生産することはできませんでした。「超硬ダイス」を製作するには、高度な加工技術を必要とし、過大な費用がかかる為、部品メーカー様が自社の需要分を充たす為だけに製作に踏み切ることはできませんでした。高価な経費と長い輸送時間を費やしても設備と同様に輸入せざるを得ませんでした。「超硬ダイス」を国産として製作することで、世の需要に応じ、日本国内の部品生産への貢献を目指して、「中京ダイス」として創業を開始しました。その後、販売した「超硬ダイス」の好評により、お客様の要望は多様化していきました。「ダイス」(雌型)にとらわれず、様々な金型の製造を進める意思表示とイメージチェンジとして、社名から 「ダイス」を外す決定をしました。そして中京圏で数ある社名の中でインパクトを与え、漢字よりもシンプルなカタカナ表記として「チゥキヨー」に社名を変更しました。

  2. PROJECTSTORY

    INTERVIEW

    一個流し生産方式 誕生の物語

    鍛造工法が高度経済成長の大量生産の波に乗って製造業に広く浸透しました。弊社の顧客である多くの自動車部品関連メーカー様も鍛造工法を取り入れたことで、自動車販売の好調に支えられ、熊本事業所を創業開始するなど、順調に事業拡大を進めてきました。しかし、2008年に世界規模の金融危機であるリーマン・ショックが発生しました。世界中で経済が停滞し、買い控えにより、モノが全く売れない状況になりました。自動車もその例に漏れず、販売が著しく停滞した為、自動車も部品も生産しない状況に陥りました。金型もお客様の生産動向にならって、使用が滞り、消費されず売れなくなってしまいました。販売不振はチゥキヨーの経営を圧迫し、非常に厳しい状況でした。そんな中でも、雇用だけは確保する方針を決定し、休業補償を 活用するなど、なんとか危機を脱することができました。リーマン・ショックを経験するまでは、景気上昇の波に乗って、ただ、モノを大量に造ることだけを考えて生産を進めてきました。 しかし、そこには今まで気づかなかった多くの無駄がありました。造りすぎのムダ、在庫のムダ、加工のムダ、手待ちのムダ・・・
    全て、会社の利益を圧迫するもので、できるだけ取り払っていつ訪れるかわからない景気の谷に、耐えられるようにしたい。ムダをそぎ落とした強靭な経営体質にしたい。そんな思いから、「必要な時に必要な分だけ生産する」トヨタ生産方式を取り入れる決断をしました。さらにこの生産方式を突き詰めた「一個流し生産方式」をチゥキヨーは、金型業界では初めて導入しました。生産準備状況や生産量の背景で造りやすいものから造るのではなく、徹底して、お客様から必要とされるもの、売れるものから順に造ることにこだわりました。これを実現する為に、加工設備の配置も加工設備の種類ごとに集約した「ジョブショップ」から、加工工程順に並べる「ライン」へと、大きく変わりました。当初は、トヨタ生産方式に全く触れることのなかった従業員ばかりだったので、なかなか理解されませんでした。「やりづらくなった」という声も聞かれました。最適なライン形態や、的確な生産計画を組めるようになるまで、幾度もラインの再編を繰り返しました。しかし、モデルラインが確立されると、少人数で、必要最低限の設備台数で、省スペース化して、今までの生産量が達成できました。それまで、半信半疑だった多くの従業員も賛同し、他のラインへと展開が進んでいきました。今では、「一個流し生産方式」はチゥキヨーのアイデンティティと言えるほどになりました。

  3. PROJECTSTORY

    INTERVIEW

    これからのチゥキヨー

    リーマン・ショック以外にも多くの苦難を乗り越え、多くのお客様に支えられ、創業から50年以上が経ちました。これからも変わらず、お客様からご愛顧いただくため、日々変化するご要望に応え続ける努力をしていきます。
    私達チゥキヨーは、これからも、お客様、仕入れ先様、地域の方々、従業員と全ての関わる人たちの幸せを考え、「四方よし」の精神で精進してまいります。